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[266]   ひと・まち  ..   2008/05/11(日) 18:27
 参考にさせていただいています
[返信] [引用]
 

先日、那珂市の酒出城跡の件で、遠方の酒出さんから突然の電話があり、応対しました。
その方も、このホームページを良くご覧になっており、資料も携えてお出でになりました。
特に、視覚的なイラストが抜群です。いつも参考にさせていただいております。御礼を申し上げます。本も買い求めました。今後のご活躍を祈念します。

http://blogs.yahoo.co.jp/umino_takashi/42608145.html
 
[267]   管理人 アオ  ..   2008/05/11(日) 19:04
 Re:参考にさせていただいています
[引用]
 

海野様 参考いただきありがとうございます。
このHP 城主の御子孫が見られていたとはびっくりしました。
しかし、南酒出城の記事、5年ほど前、真っ先に作成した記事ですので、今、見ると、見劣りします。
ちょっと恥ずかし・・・。
こんな記事でも参考にしていただけるとはありがたいことです。
逆を言えば、いい加減な記事は書けないということです。
今後も参考にしていただけるような記事を心がけます。
今後とも、よろしくお願いいたします。

 



[259]   おれんじゃあ  ..   2008/05/07(水) 19:20
 茨城大学の高橋先生より
[返信] [引用]
 

アオ殿、こんばんは、ご無沙汰しております。

実は茨城大学の中世日本史の高橋先生から、お手紙などいただいていることを報告したく、書き込んでいます。

何でも、茨城大学人文学部と常陸大宮市との間で締結された地域連携協定というものに基づいて、「森を活かした町づくり協議会」というのが立ち上げられ、常陸大宮市内の城館の調査・研究が進められているとのこと。
この地域の城の調査に関しては先駆者である、私やアオ殿に、協力をお願いすることもあるかもしれないので、その時はお願いしたい、といった内容です。

本日、私の所に、そのことについて触れた『茨城大学 中世史研究』という小冊子が2冊送られてきまして、アオ殿にも1冊渡してほしい、ということなので、今度お目にかかれたときにでもお渡ししたいと思います。

ちなみにこの冊子の先年の号では『図説 茨城の城郭』を高く評価していただいています。

では!
 
[260]   管理人 アオ  ..   2008/05/07(水) 22:26
 Re:茨城大学の高橋先生より
[引用]
 

おれんじゃあ 殿 こんばんは。
茨城大と常陸大宮市で城館の調査が行われているとは知りませんでした。あの市には良い城が沢山あるので、やりがいのある調査でしょうね。

我々のやってきたこと、趣味が嵩じて、「図説 茨城の城郭」が出来て、HPもお互いマニアックの領域まで来てしまったみたいですが、それが評価されて大学や行政に注目されるのは嬉しいことです。

もちろん、この話、できる範囲で協力したいと思います。
これとは別の話ですが、今年の11月に常陸太田市教育委員会から「常陸太田市の城郭」というタイトルで講演してくれとの依頼が来ています。
当然、「図説 茨城の城郭」の縁です。

ネタには事欠かないのですが、どのように話を展開させようか思案中です。まあ、これも、忘れかけられた埋もれた「城」が注目されるきっかけとなりそうなので、本望です。

では、今後ともよろしくお願いします。

 
 
[261]   ひづめ  .. [URL]  2008/05/08(木) 00:17
 Re:茨城大学の高橋先生より
[引用]
 

余湖さん、アオさん、こんばんは。

 どちらもすばらしいお誘いですね。『図説茨城の城郭』のご縁もあるでしょうし、それ以前から積み重ねて来た地道な活動に注目してくれる人が現れ始めた、ということでもあるのでしょう。先々どのような展開が待っているのか興味津々です。

>この冊子の先年の号では『図説 茨城の城郭』を高く評価していただいています。

 余湖さん、その部分の引用は可能でしょうか?どのように書かれているのか私も知りたいです。


 
 
[262]   ひづめ  .. [URL]  2008/05/08(木) 09:18
 Re:茨城大学の高橋先生より
[引用]
 

アオさん

 夕べは寝させてもらえなかったのでは?

 
 
[263]   おれんじゃあ  ..   2008/05/08(木) 19:26
 Re:茨城大学の高橋先生より
[引用]
 

アオ殿、ひづめ殿、こんばんは

アオ殿、常陸太田市の城館について講演をなさるのですか、
これは面白そうですね。私もぜひ聴きに伺いたいと思います。
詳しい日程などが分かりましたら、アオ殿のページで告知していただけませんか?

ところで、高橋先生から、次のような質問を受けています。

「高部・河内・高沢には「向館」という出城のようなものが伴うと村史には書いてますよね。
余湖さんたちは、独自に把握してたりしませんか?」

私は村史もろくに読んでいないので把握していないのですが、アオ殿はひょっとして、何かご存知でしょうか?


ひづめ殿、茨城の城郭の紹介文の部分を画像にしてアップしました。よろしかったらご覧ください。
「茨城大学 中世史研究」vol.4(07年3月31日発行)です。

http://homepage2.nifty.com/yogo1394/0ibarakishoukai.jpg

ではまた!

 
 
[264]   管理人 アオ  ..   2008/05/08(木) 20:38
 Re:茨城大学の高橋先生より
[引用]
 

ひづめ殿 おれんじゃあ殿 こんばんは
早朝の地震、参りました。
でもちっとも大した感じはありませんでした。
しかし、職場に狩り出され、面倒だこと。
あれくらいの地震で何かある訳ないじゃん。

「図説 茨城の城郭」発行の余波、徐々に広がっていますね。
うれしい限りです。
地元が、地元の城に注目してくれるようになったことは良い事です。
目的の1つは達成したと言えるでしょう。
「茨城大学 中世史研究」vol.4の書評も好意的ですね。

美和村史はコピーをとりませんでしたので、「向館」のことは知りませんでした。
高部・河内・高沢それぞれに「向館」という出城のようなものがあったのか、河内城に対し高沢城が向館なのか分かりませんが、前者なら1城別郭の城ということになりますが・・・。後で村史を確認してみます。

小生の講演ですか?11月14日なんですが、その日、平日なんですよ。
近づいたらお知らせしようと思います。
いずれ、内容についてはご意見をお願いしたいと思いますので、よろしゅうお願いします。

 
 
[265]   ひづめ  .. [URL]  2008/05/08(木) 21:37
 Re:茨城大学の高橋先生より
[引用]
 

余湖さん、茨城の城郭の紹介文をありがとうございます。

 『図説茨城の城郭』の特色をコンパクトに紹介していただいてますね。その上、おおおお、あれほどの権威ある書と「〜比すべくもない」なんて言われてしまって良いのでしょうか。

 『図説』の次に書かれているのが例のシンポジウムについてですが、それをまとめた『中世東国の内海世界』、すでにご存知かもしれませんがなかなか内容濃いですよ。
http://yablog.blog6.fc2.com/blog-entry-655.html

 

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[257]   庄司  ..   2008/04/28(月) 10:35
 ご教授ありがとうございます。
[返信] [引用]
 

 アオ様、ありがとうございます。確かに、そういった一大決戦において、一族を一つにまとめあげることは大変、困難であった様子ですね。ましてや戦国の世において「義」によって動くなど一族を露頭に迷わせることになりかねませんからね。
 私の実家からも、割と近い距離にあるにも関わらず未だ寺山城へは行ったことがありません。いずれ機会をみつけて、見学してみたいと思います。やはり、いつの時代においても情勢の見極めが重要なのですね。
 
[258]   管理人 アオ  ..   2008/04/28(月) 23:07
 Re:ご教授ありがとうございます。
[引用]
 

庄司さん こんばんは。
今、伝えられる戦国時代の話は、江戸時代に造られたものが多いようです。上杉謙信の「義」だって、本当に謙信が「義」で行動していたのでしょうか。
どうも違うような気がします。これは後継者の景勝や直江兼続が作り上げた創作だったように思えます。
江戸時代の忠臣思想も戦国時代はある訳はなし。
これも儒教思想とドッキングさせた創作であり、これが幕末、白虎隊の悲劇を生んだのでしょう。
これは絶対、戦国時代にはなかったはず。
すぐに降伏して、勝つ方に付いて、一族の存続を図るでしょうね。
常識と思っていることは、時として常識の嘘が隠されているかもしれません。

寺山城、行ってみて下さい。
ただし、冬場じゃないと無理と思いますが。つ
いこの間まで使っていたと思うほどの遺構が残っていますよ。
あんな気合が入った城はあまりないでしょう。
福島の城も沢山見ましたが小生はこの城がもっとも凄い城だと思っています。

 



[255]   庄司  ..   2008/04/25(金) 22:15
 佐竹 義宣の動向
[返信] [引用]
 

 アオ殿 ご無沙汰しております。以前、お世話になりました機初出身」の庄司と申します。小説「佐竹 義宣」を読んでいまして大変気になったのですが、義宣は何故、関ヶ原合戦前哨において、上杉家と呼応し、小山から引き返す家康軍に追い討ちをかけなかったのでしょうか?ご見解をお伺い致したいと思い筆をとりました。また、義宣は史実通り、寺山城まで兵を動かしたのでしょうか?様々な見解があるかと思いますが、未熟な私にご教授いただければ幸いです。
 
[256]   管理人 アオ  ..   2008/04/25(金) 23:55
 Re:佐竹 義宣の動向
[引用]
 

庄司さん ご無沙汰しています。
ご質問の件、これは難しいです。推察でも1つのストーリーが作れれば小説が書けます。
当時、佐竹軍の主力は棚倉の寺山、赤館に集結していたのは事実らしいですが、白河の上杉軍とことを構える様相はなかったようですので、完全に西軍として行動してるようです。
真壁の城やつくばの多気山城なんか対徳川のために佐竹が改修したとも言います。これは佐竹義宣の意思によるものじゃないかと思います。
しかし、それでも動けなかったのは、あくまで想像ですが、小生は家内がまとめられなかったためだと思います。
佐竹家の当主とは言え、秀吉が好きでない義重は健在だし、一族の長老はそれなりの発言力はあるし、多くの重臣はいるという状態で、当主の判断だけでは動けない状態だったのでしょう。
小田原北条氏の氏政と氏直の関係とも良く似ています。
これは土着した古い家だったこともありますが、この時代の大名はまだ絶対的な権力は把握していなかったのではないかと思います。
この時代の戦国大名は、結構、合議制で物事を決めていたようです。
独裁者と思われ勝ちな伊達政宗だって、結構、重臣や一族に気を使ってますし、反対を受けて方針を変えたりしているくらいですから。
これは上杉氏でも同じでしょう。皆、家族も部下もいるのですから、命運を左右する件については、容易に結論はでないでしょう。
多分、結果が容易に読めるなら、勝ほうにつくでしょう。
佐竹家ではちょうど、意見が拮抗した状態のままで動けない状態だったのでしょう。真田や九鬼のように一族を2つに分けて生き残りを図るという選択もあったくらいですから、当主の苦悩は推察されます。
来年の大河ドラマの主人公の直江兼続のように「義」によって動くなんて絶対にないと思います。それは江戸時代の封建思想の影響でしょう。
絶対「打算」によって動くのが戦国時代だと思います。
その代表が伊達政宗でしょうか。


 



[253]   左衛門尉  ..   2008/02/24(日) 09:34
 守谷城のこと
[返信] [引用]
 

アオさん、お久しぶりです。ご無沙汰いたしております。
アップされた守谷城を拝見しました。実は私たちも2月11日に守谷城を訪れました。会の合宿でした。オレンジャーさんも一緒でしたよ。いつもオレンジャーさんには車を出していただき、助かっております。

今回の会の合宿では、初日は臼井城から印西を回り文書や寺社を見学し、牛久に泊まりました。二日目は牛久・東林寺城跡から足高城跡、そして守谷城跡へと足を延ばしました。

総勢12名(初日は13名)の大所帯でしたが、今回は千葉大生や院生の諸君も参加してくれて、充実した合宿を行えました。もちろん『図説茨城の城郭』で資料をつくりました。

守谷城は相馬氏の本拠にふさわしいものでした。また、「森屋一跡」をめぐって簗田氏がちょっかいを出すなど、やはり重要な拠点だったのでしょうね。確かに簗田が欲しがっただけあって、水運に関連する城という感じがしました。

城を見たあと、中央公民館に行き、出土遺物も見ました。また、ゆくりこの周辺を見てみたいです。アオさんの書かれた筒戸城跡も興味をもちました。

また、お会いしましょう。それでは。
 
[254]   管理人 アオ  ..   2008/02/24(日) 18:49
 Re:守谷城のこと
[引用]
 

左衛門尉殿 ご無沙汰しております。
活躍していますなあ。素晴しい。
守谷城など茨城県南の城に行ったのは昨年4月でしたが、記事をアップできたのはやっとこさという小生です。

茨城県北部の人間にとって守谷というと、千葉、埼玉の都市のように東京の衛星都市というイメージが強く、同じ県という意識があまりありません。

この守谷城もそんな大したことはないんじゃないか、という先入観がありました。
しかし、実物を見るとこれは素晴しいもんでしたね。感心しました。
当時は東側は沼地で、鹿島方面からこの付近を含め、関宿、古河、下妻、館林までの地域は、沼と川が入り込んだ複雑な地形だったんでしょうね。
今みたいな治水がしっかりしていたら、北条氏は直ぐに制圧できたでしょう。でも複雑に沼が入り組んだ土地なら、いくらでも船で物資、兵士の輸送はできるし、守るのも楽。こりゃ攻略に手間どったろうなということが、城址に佇んでいると実感されますね。

しかし、小生の行動範囲はこの付近が南限。
なかなか利根川を渡河し、下総に侵攻できません。
それより、道も良くて行き易い奥州南部に侵攻しちゃうんですよね。
うちの近くにいた戦国大名で似たような方がおられましたが・・。

それでは、またお会いできる日を。

 







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